「インターネットの総意」の話

 人生の大半をネットに触れて育った世代にしかわからない価値観、空気感、そうしたものがあると私は信じる。生まれた時からPCがあり、チャットがあり、回線とスペックに苦しみながらゲームをやった世代である。在りし日のピンボールから始まり、Ultima OnlineやEver Quest (もう少し早ければDiabloかもしれない) に触れ、WinMXで釣りや詐欺を学んだのもはるか昔の話となってしまったが、そうした世代が30代40代になり子を持って、さらにインターネットが身近になった世代が現代を跳梁跋扈 (たぶん誤用) している。

 こうして現実にインターネットが介在する状況を当たり前として育った世代にとって、インターネットの向こう側さえ現実であるのは当然である。インターネットを現実であると認識できない世代、あるいは子世代においてもそうした認識が持てないままでいる人々は、読書と同じ感覚でインターネットを使ってしまう。つまり、伸びているツイートに、自分は○○と考える、あるいは自分は○○を経験したから全人類はこうすべきだ、というリプをつけてしまう。いわゆる自分語りというやつであり、あるいは無知な民衆を啓蒙してやろうという傲慢さゆえの行為である。掲示板であれば自浄作用が働くが、元が短文形式のブログであるがために、Twitterではそれが効果的でありづらい。

 かくして形成される、画面の向こうに現実を想像できない、自分が絶対正義であると信じてやまない「正義」は、その見たいものだけを信じるという傾向により、思考を濃縮させていく。彼の信ずる正義によって、「かわいい動物動画まとめ♡」以外の全てのアカウントはレッテルを貼られ、味方でなければ敵とされる。真に愛国的であるのは我々であり、政府の情報操作/マスコミの偏向に騙される右翼/左翼は阿呆であり、敵は教育の失敗たるネトウヨ/在日工作員であり、云々云々……

 だが、そんなものは存在しない。マスがすべてあった時代は終わりを告げたというのに、いまだ「私たち」と「その他全て」でしか世界を分割できない人間には絶対に理解できない構造がそこにあるからだ。総意は存在しない、ただ個人があるだけだ。それを解さない人間はインターネットを使うべきでない。