All Star 2017を見ている話
世界各Regionごとにファン投票で選抜されたプレイヤー5名で結成するドリームチーム同士が戦うAll Star戦。めちゃくちゃ面白い。
朝8時から放送が始まるから、10分前には起きてTwitchをつける。コーヒーを淹れつつ試合開始を待つ。
パッチが当たったとはいえ、プレシーズンだからバランス調整はかなり荒い。botではJhinやMiss Fortune、Xerathが石を投げあう。Xerathはmidでも石を投げてる。topは相変わらずプロレスさながらの殴り合いかと思いきや、GnarやJayceが多い。jgはKha'Zix以外みんなtank championだ。Sejuani、Jarvan ⅣあたりがGod Tearっぽい。
プレイヤーも各レーンのトッププロが集まるから、名前を知ってることが多くて楽しい。魔王Faker、伝説のMejai Eliseで知られるLevi、名サポートと名高いMeikoや、みんなのアイドルSneaky、Eyes&Revolを、いや視聴者すべてをスーパープレイに熱狂させたPrayやHauntzerなど、書き連ねればキリがない。
5v5が終われば次は選抜プレイヤーの1v1だ。個人技に長けたmidやADCプレイヤーが選出されることが多い。中国を代表するUziや、NAの王者Bjergsen、Worldsでのあのシーンでファンを増やしたであろうReckles……彼らがHowling Abyssで繰り広げるガチンコ勝負は、手に汗握るものばかりだ。
今日もこうして2時まで試合を見てしまった。まだ起きてから何もしていないうえに、こうしてエントリの執筆にかまけている。「LoLはそこそこ面白いゲームだ」とはImaqtpieの言だが、実際にプレイしていない時でさえ私の時間をこれほど奪っていくゲームがつまらなくあってはたまらない。LoLは麻薬である。
いよいよ明日が決勝戦だ。平日だから〜とか言ってる場合ではない。有給を取れ、自主休講を作れ、そしてPCを起動しTwitchを開け。つまらない日常を捨てて、熱狂のSummoner's Riftに飛び込むのだ。
初めてインターネットが役に立った話(あるいは私のウンコの話)
2週間ぐらい前まで便秘に悩まされていた。基本的にウンコが出るのは週に2回か3回で、そのうえ下痢だった。いままでの人生でずっとそうだったので、他人は毎日健康なうんこが出るものだと知った時には衝撃が走った。「ばななうんち」はレアアイテムではなかったのか。
Yahooの検索窓に「便秘 治し方」と打ち込む。ソースのかけらもない胡散臭さの塊みたいなサイトがいくつか出てくる。野菜と乳製品を食えと書いてある。なるほど。
野菜は食っている。毎朝味噌汁を飲むし、晩飯にはサラダをつけている。シーザードレッシングがお気に入りだ。
つまり私に必要なのは乳製品ということになる。冷蔵庫を漁ると、ヨーグルトがいくつか出てきた。幸い賞味期限は切れていない。食った。
次の日、うんこは出なかったが、晩飯のあとにヨーグルトを食った。
次の日もうんこは出なかった。帰りにスーパーで4つパックのヨーグルトを買った。アロエと、フルーツミックスのやつだ。晩飯のあとにアロエの方を食った。
次の日の夜、うんこが出た。細長くて綺麗なやつだ。一本グソというのはこういうウンコを言うのだろう。晩飯のあとにフルーツミックスのヨーグルトを食った。
それから私の晩飯にはヨーグルトが追加された。食い忘れるとうんこが出なくなるのですぐわかる。読者諸氏も晩飯のあとにはヨーグルトを食うといい。
ネットなぞクソの塊だが、そんなクソでもたまには役に立つのだ。少なくとも私のクソ事情を改善することができるクソだということは確かである。またひとつ賢くなった。
Twitterは思考濃縮機というお話
ずっと言われていることではあるが、他人と意見を交換することの障壁が低くなると、思考は濃縮されていく。
意見の合う人は仲良くなれる人。噛み付いてくる人は気が合わない人。気が合わない人は視界から消せる。スパム報告。ブロック。スパム報告。ブロック。
やがて自己は肥大化する。自分に同調する人間が正しい人間。反発する人間は悪い人間、反社会的な人間。唯一絶対たる自分の正義こそが正しいのだ。悪は教導する価値、啓蒙する価値すらない。愚者は排除しなければ。スパム報告。ブロック。スパム報告。ブロック。
あやまちを認めたくないという思いは、かのシャア・アズナブルでさえ抱くものだ。意見のすり合わせとそれに伴う妥協、あるいは対極への自己変質は、こと政治的主張に関しては、それを回避すべきものとして見なす。存在を脅かす論陣はTwitterという "正しい議論" の場から排除しなければ。スパム報告。ブロック。スパム報告。ブロック。
もはや敗北は許されない。自己の否定にさえ繋がってしまうからだ。私に噛み付く阿呆は度し難い阿呆。私に噛み付く愚者は度し難い愚者。やつらはてきだ。やつらはあくだ。すぱむ。ぶろっく。すぱむ。ぶろっく。
すぱむ。ぶろっく。
マイノリティという特権階級
性別適合手術に保険適用へ 来年度、性同一性障害対象 | 2017/11/29 - 共同通信 47NEWS https://this.kiji.is/308286764265686113
障害扱いするな、病気扱いするな、トランスジェンダーは個性だと散々ぶち上げておきながら保険適用?呆れて声も出ませんな。
そもそも2018年にはWHOのICD改訂で「性同一性障害」が病名から消えるはずなのに保険適用というのは矛盾でしかないだろう。不妊治療でさえいまだ自費だというのに…という感じしかしない。
これが以前のエントリで述べた、"「人権」という観点から、権利を国家から付与" された "下流やマイノリティ" という "ある種の特権階級" である。
初めてやったゲームの話
私の初めてのゲームは、同じく初めての海外旅行と同時に訪れた。2003年 グアム、ハイアットリージェンシー スカイラウンジでのことだ。
日も高いうちから酒を煽る両親は、まだじっとはできないインポ少年に1つのゲーム機と、1本のゲームソフトを与えた。
まだ発売されたばかりの本体と、時間をかけて育てたデータを消してまで息子に渡した父の決断は計り知れない。彼は自分の手で苦楽を共にしたモンスターたちを消去し、そして世代を継がせたのである。賢明な読者諸氏はタイトルをお分かりのことだろう。
「ゲームボーイアドバンスSP」、そして傑作と名高い「ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド」である。
いまポケモンだと思ったオタクどもは反省してほしい。最初にポケモンに触れるような家庭ならこんなに歪んだクソオタクに育っちゃいないのである。
もちろん5歳の少年、しかもゲームをやったことがない子どもには難しいソフトだった。しかし神童であった (神童だったんですよ、いやほんとに) 私はなんなくゲームのルールを飲みこみ、瞬く間にいくつかの旅の扉をクリアした。
「ぼうけんたん」とは何を指すのか不明。「しもふりにく」の「しもふり」がなんなのかもわからない。「たてごと」とはいったい何なのかも知らなかった。
しかしそれがモンスターを勇敢にするアイテムであることは把握し、もっともモンスターを仲間にしやすい肉であることを覚え、 たてごとを使ってレベルを上げ続ける。新たな扉をくぐる前には貯め込んだゴールドでありったけのやくそうとキメラのつばさ、ももんじゃのしっぽを買い込み、MPの温存と殲滅の速度を天秤にかけ、旅のしおりでこまめに保存することを忘れない。そういうプレイを覚えた。
テリワンは少年だったインポを、一介のゲーマーに変えてしまったのである。滞在を終えて日本の土を踏む頃には、他国のマスターから奪ったグラコスやゴールデンゴーレムを従え、配合を繰り返して作り上げたグレイトドラゴンを傍らに、ほしふりの大会を勝ち抜く立派なモンスターマスターとなっていた。
時は流れ2017年。私はペンではなく剣を、参考書ではなく銃を、赤本ではなくマウスをその手に取る。それはかつてぼうけんたんであり、しもふりにくであり、ぎんのたてごとだったものだ。時が経とうとも、私に息づくゲーマーの血がそうさせる。だから私は今日も戦場に赴く。これは逃避ではない、使命なのだ。