エロゲーにおけるE-mote導入について

ラブリケやアマカノなど、E-moteを導入したエロゲが増えたのは新しい話ではない。が、これが定着するかどうかはかなり微妙なラインだろう。少しだけ考えたことを書き連ねようと思う。

エロゲは「紙芝居」から進化しえない

いわゆるテキストアドベンチャーの始まりは「Colossal Cave Adventure」である。文字のみで構成されたこの分野は、瞬く間に世界に広まった。文字を読める人なら誰でも遊べ、かつマシンスペックを要求しない、シンプルなゲームスタイルは、90年代後期に黄金期を迎えた。YU-NO、ナイトゥルース、Ever17……これらは多くの方がご存知だろうから、歴史を語るのはよすことにする。
新しい形のゲームは、その価値の多くを文字に依存していた。つまりその発展は、文字情報にする形でしか為され得なかったのである。立ち絵、イベントCG、キャラクターの音声、これらは全てテキストから想起される情景を補完するものにすぎない。最終的なイメージを形成するのはあくまでプレイヤーであり、そこには個々人の「妄想」の余地が介在するということだ。

動作の補完ということ

情景の想起というのは、多くの場合個人差の激しいものだ。例えば、「妖艶なブロンドの女性が、降り積もる雪の中、森の手前で立ち止まりこちらを手招きしている」情景を想像するとき、そこには「女性の顔立ちや髪の長さ、服装」「木々の種類」「雪の厚み」など、大多数のプレイヤーの想起を完全に一致させるには足りない情報がある。こうした情報を補完するのが挿絵であり、立ち絵であり、またCGである。こうしたプレイヤーごとのブレを減らす作用を、「イメージの固定化」と呼ぶことにする。
翻って動作の面ではどうだろうか。「手招き」という動作に対し、手を頭上に高く掲げた女性を想起する人は少ないだろう。挑発のように掌を上にしていることを想起する人も少ないに違いない。動きに対しては、雪の厚みや木々の種類に関わらず、多くの人が同じものを想像できるということである。これらに「イメージの固定化」が必要だろうか?
E-moteの導入にあたって、こうした問題がある。まばたきや口の動きといった動作を立ち絵に行わせるこの機能は、まさしく動作に対する「イメージの固定化」だろう。だが、我々プレイヤーにとって、それは視覚化されなくとも共有できるものだ。ヒロインが笑顔で話しかける姿を想起するとき、まさか腹話術のように口を動かさず話すヒロインを思うプレイヤーはいないだろう。通常の会話においていちいち情景など思い浮かべないだろうが、それでもこうした細やかな動作を絵にしてしまうことは、肝心の文字情報に集中できないなどの問題を引き起こす。
そしてなによりの欠陥は、画面下部に表示されるテキストを読む際、立ち絵の表情の動きなどぼんやりとしか認識出来ないことである!それ単体で眺めるならばまだしも、文字以外の要素が付帯にすぎないジャンルにおいて、これはまったく無意味としか言いようがない。

コストの逼迫

E-moteシステムは、有限会社エムツーの開発したLive2dを用いる技術である。つまりこの利用にはライセンス料が発生するということだ。資金難の叫ばれる昨今のエロゲ業界において、開発コストの高騰は無視できないだろう。「電撃FC」のようなジャンル違いのものはいざ知らず、先に述べたようにデメリットの目立つジャンルに導入することは、先細りを加速させる結果になりかねない。「E-moteは当たり前」という認識が広まってしまえば、制作側にもプレイヤー側にも喜ばしい結果にはならないことだろうから。